何年も前から、「叱らない子育て」とか言われてきてますが
子供が居ないヤツに、こんなこと言われたくねぇわ💢と
言われそうですが、今日はこの話題を書きます。
私の世代は「スパルタ教育」だった。
…と、ひとくくりに言うなよって思われるかもですが。
私の家庭では、厳しかったですね。特に、母よりも私は
姉がひたすら怖かったです。怒鳴り散らすから。
学校も普通に体罰があった時代。
先生に、頭をしばかれたこともありました。
未だに、誰かに叱られる恥ずかしいババァですが(;^ω^)
この叱られるってのは、言われる方はダメージ受けるかも知れないけど
「叱られる」ってことは、有難いことなのです。
叱るということ。
昨日でも、桜井誠さんの生放送でリスナーが
「質問コーナーは設けるから」と、言ってるのに
しつこく、そのコーナーの時間じゃない時に質問をしてくるので
そのリスナーを叱った場面があった…ということを記事にUPしました。
↑桜井誠さんの生放送、実は既存政党のお偉いさんとか
マスコミ関係のお方まで、こっそり聴くほど人気が高いです。
…というわけで、宣伝でしたw 因みに、基本は毎日9時と19時に
放送中ですが、時々ご本人の都合で変わる場合があります。
さて、話を戻そう。
この叱るっていう行為は、悪いことなのでしょうか?
あまりにも度が過ぎて、ギャンギャン怒鳴り散らすのは
ただのその叱ってる人のストレス発散に過ぎません。
私の姉は、そこを間違っていたことが多々あったんだけど
怖すぎて、そこを指摘出来なかったんです(;^ω^)
叱るなら、相手のどこが間違っているかを指摘するのが
目的であって、間違っても感情に任せて怒鳴ればいいものではない。
増してや、「何故間違ってるのか?」を詳しく言わないと理解できない人が
今は非常に多いのです。
叱るという行為は、私は必要だと思ってます。
何故なら、それは相手に間違いを気づかせるために。
それを言ってくれるってことは、今後自分が世間の前で
恥をかかないためでもあるのです。
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叱ってばかりも、萎縮する。
私の場合は、叱られる方が多かったです。
ちょっとしたことでも、ギャンギャンヽ(`Д´)ノ
ウチの姉がそんな感じだったので、親しみどころか
恐くて近づけなかったな。
母も、厳しくて褒めることは…あったんだろうけど
数える程度だったかな…。
強く言われるので、「お母さんは(若しくは先生や上司は)
自分を愛してないのか?」と思われがちなんだけど
教えてくれる人が居るってことは、愛されている証拠でもあるのです。
だけどね、あまりにもヒステリック丸出しに
ギャンギャン怒鳴るばかりでは、愛は感じません。
そんなに怒ったら、虐待になるからと思ってませんか?
日本人がダメになった理由は、そこにもある?
あくまでも私の見解なので、一般的な意見ではないことを
言っておきます。
こういう記事も、見つけました。
私のように、スパルタ教育で育った者はそこから
間違いを正すことと、忍耐を学びました。
あまりにもキツイ物の言い方に、泣いたことは沢山ありました。
相手を憎んだこともありました。
だけどね、何十年も経った今ではそれが無かったら
私はやっていいことと悪いことの区別がつかなかった。
「そんなの今時古い」って思われがちだけど
古いとかの問題でしょうか?
確かに下手したら、虐待になりうる場合もあるけど
叱って教育するのと、虐待は違います。
虐待は、子供に愛情を感じない行為。
叱るのは、子供に愛情が無くてはできません。
優しく褒めるのも大事だけど、褒めるだけでは
厳しい事実を理解出来ないし、そこを乗り越える力さえも
養われない。
その意味を、「言われたことでしか理解できなくなってきた」
「相手の言うことを聞くことが出来ない」っていうのは
親とか、大人からそういうことを躾けられてないからなんです。
きちんと、相手の言うことに耳を傾ける
相手の言う意味は、どういうものか?
それらが、昨今の私たちに欠けているってことに気付かないと
いけないわけです。
日本人が段々と、劣化してきた理由は
そこにあるのでは?と、私は感じてます。
こんなことを書いてますが、私も人のことは言えないんですよ(;^ω^)
たまに、とんでもないことやらかすから。(ノ∀`)アチャー
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締め。
というわけで、今日は叱るということを書きました。
時には、叱ることも必要だってことを書きました。
親子は、友達ではないからね。
後で、何故叱ったかを説明してフォローしておくと
いいかも知れませんね。