ババブロⅡ

ババァのブログだから、略して「ババブロ」。日々思うことなどの備忘録です。

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人間不信になった自分との付き合い方。

人間不信とググると、必ず克服って出る。

最初に言っておくが、一個人の意見なので

押し付けることは、致しません。

単なるババァの戯言だと受け取って結構。

私も人間なので、正しくないことは承知です。

どう付き合う?人間不信。

ハッキリ言います。この世は、嘘だらけの

世界で正しいことなんて、罷り通らないことが殆どです。

嘘にも、世の中を円滑にするための「必要悪」って物があるから。

それを、まずは知った方がいい。

私を純粋で騙しやすい見た目してるって思う人が、かつては多かった。

喋らないだけで、勘違いされるケースが本当に多すぎた。

 

人間不信とは、何らかの原因で人を信じることが出来ないこと。

 

人間不信になる原因…大抵は、過去の辛い出来事が殆どですよね。
他に原因があるなら、教えてほしいけど…

 

信じたりするから、裏切られたと感じる。

私は、実は信じるって言葉が大嫌い。

人は、自分の思い通りではないから。

相手を無理矢理コントロールする人も居るが

規則とかじゃない限り、思い通りなんて殆ど無い。

 

勿論、善人が居ないわけでもない。

だけど、人は100%ではないから。

 

人には期待しない方が良い。

神様のように完璧な人なんて、この世にいない。

だからこそ、助け合って支え合う人が必要ではあります。

だけど、支え合う助け合うなんて考えを持たない人もこの世にいる。

それを多数見てきただけに、失望したことも数知れずでした。

期待っていうと、私は重く感じる。

そういうプレッシャーが、いい方向に行く場合もある。
しかし、相手にプレッシャーをかけない方が上手くいく場合もある。

所謂「自己責任」を述べる人たち。

ある程度は正しいんだけど、極端なまでにあれもこれも自分で
解決しなさい。甘えるな!って突き放された、苦い過去。


昭和の時代って、美化されがちですが
精神的には、苦痛でしかないことも非常に多かった。

 

この世すべてが自己責任なら、極端すぎる考えですが
誰もが生まれたくなかったんじゃないかな。

私なら、生まれたことまで自己責任にされるくらいなら
生まれることすら、全力で拒否する。

 

騙す人も多数いる世の中だから。

真っ当に生きている人もおられるんだろう。

だけど、ここんところの民度の悪さも目立つ世の中なので
人を騙す人も居る。

自分の思い通りに支配したがる人もいる。

世の中善人だらけでもなければ、悪人だらけでもない。

だけど、悲しいことにそういう悪い人も居る。

疑ってかかるくらいじゃないと、自分を守れないから。

守れるのは、結局は自分自身しか居ないってことを
嫌なくらい学んできました。

家族ですら、家族を守れるかって言ったらそうではない。

 

人間不信を克服とか言うけど、そう簡単なことではない。

克服を一切するな…ではないので、間違えないでください。

上でも述べましたが「人は100%ではない」から。

だから、自分が人間不信であることを理解して
それと上手く付き合う方法を考えた方がいいのでは?
思っています。

 

何事も、程々に。

この程々が難しいですね。

極端なまでに、頑なに人を信じませんって
のもいかがなもんかと思うが、かといって
ホイホイ、人を信じます~も困りもの。

私自身がいい大人なので「おまえを信じるかー!」って
そんなあからさまな態度は見せませんw

だけど、これだけはした方がいいってのもあるよね。

人を信じられないんだから、自分を信じないのかって
言ったら、そうでもない。

せめて、自分だけはある程度信じようかって
思うようにはなったかな。

自分のことを100%信じられないくらいなら、私は自分の人生
そのものを終わらせたい。

それすら出来ない時期もありました。

自分が嫌い過ぎて。

 

そんな人間不信な私が、最低これだけはしようってことが
あります。

 

感謝をすること。

 

私自身、絶対欠かせないのは人に「ありがとう」を言うこと。

コミュ障だけど、これだけは欠かせません。

相手が善意でしてくれることに対して、いつもではないけど
わざわざ、それをやってくれたことに対しては
きちんとお礼を言うべきだと思ってるからです。

それに、これを言われて嫌な人って居ないと思うし。

 

自分と上手く付き合うことを、この年齢(52歳)で考える
ようになったのは、大きな進歩とも言えます。

 

締め。

この記事は、人間不信になった自分とどう向き合って
付き合うのかを、考えてみたという内容。

世の中、どんな人が悪い人か?なんて見た目で
即分かる例もありますが、大体は付き合ってみないと
分からない例も数多くあります。

なので、人を疑うことも時には必要なんです。
守れるのは、自分自身しかないのですから。

そこを、どう上手く付き合うか…?ですね。

私もそれが100%出来てないので、未だ模索中ってことですね。