前の記事にて、イジメの話をしました。
続編のような形ですね。
私は人からすると、どうもしっかりしてるように
思われるようです。(;^ω^)
一時期、甘えてくる人が多かったな。
子ども時代は…
今はこの言葉を使いませんね。かぎっ子でした。
所謂、両親は共働きで留守番は一人でしていました。
小学生でも中学年までは、市民センターに行ってかぎっ子を集めて
そこに居る子たちとおやつを食べたり、遊んだりしたっけ。
「かぎっ子教室」ってのがあったな。
今は、その市民センターは無いな。
母に家事を頼まれました。なので、家事は得意な方。
掃除だけは、少々苦手ですけどねw
両親共に自営業だったので、家に居ることが
本当に少なかった。
姉は年齢が離れているし、結婚が早かったので
殆ど、家には私一人の状態でした。
頼りにしようにも、たまに両親が居ても
スパルタ教育が蔓延っていた時代なので、厳しかったですね。
小学生でも、中学年まではまだ優しかったかも知れませんが
年齢が上がるにつれ、段々と厳しくなりつつありました。
「甘えるな」で、育った。
いじめを受けても…
親には、中々言えなかったですね。言ったこともありますが…
先生に相談しても「注意します」で終了で、解決なんて
出来ませんから。
先生に言っても、もみ消されるだけですので
酷い例だと、イジメに加担する先生も居たほどだし。
今だと、これ犯罪の域ですよ。
現在いじめを受けてる子たちは、先生に相談は
してはいけないね。
昔から、体質変わってないだろうから。
信用出来ないんだよ。
この時からだろうな、私が人間不信を抱えていたのは。
人は裏切る生き物で、自己保身をする生き物。
人を助ける?そんなこと誰もしない。
そんなことを、既に小学生の時から感じて思っていたわけで。
いじめられたら、傍観者ばっかり。
そんなんで、誰を信じられる?誰に頼れる?
親ですら、頼りなかったわけで。
「ふざけんなよ、おまえら」って、悪態つきたいくらいだった。
だからなんですよ。
自分一人で、信じるしかなかった。
自分自身で身を守る以外なかったんです。
誰も、護ってくれないんですから。
親に心配をかけまいと
私なりに気を遣ったしで、逃げ道が「自分自身を一生懸命
励ます」以外道がなかったんですから。
私だって人間だから、逃げ道があってもいいようなものだったけど…
心の支えが、アニメをテレビで見ることと
チラシの裏でマンガを書いたり、物語を書いたりすることだった。
そうやって、自分で心を支えてきたけど…
あまりにも、毎日イジメられ過ぎて
限界がきたこともありました。
だけど、親には一切言えず…
だから、自分で人生を終わらせたいじめられっ子の気持ちは
痛いくらい分かる。
追い詰められてしまうんだよ。親も誰も助けないから…
逃げ道も無いから。
ここで、前向きにじゃぁこうしましょうって提案したとしても
説得力に欠けるでしょ。
中には本当に神かってくらい、優しい人も居るだろうけど
そういう存在は、非常に稀なもんだ。
だから、自分で切り開く以外無かった。
誰かに頼るなんて、もっての外だった。
波動が高いかどうかは置いて。
最近、ゆっくり解説のスピリチュアル系動画をよく見ます。
徳が高い、波動が高い人ってそれだけ苦労が多いそうだ。
私自身、徳が高いとか波動が高いとか気にしたことすら
無いから、自分では分かってないんだけど…
そんな育ちだから、実家に居ても自分自身が成長しないと
判断して高校卒業して、実家を離れました。
勤務先で、パワハラ受けて(当時はこの言葉は無い)見事に失敗したw
平成初期の時代。まだまだ、昭和の名残がある時代。
しっかり者に見えても…
私だって、時には甘えたいこともあります。
人間ですもの。私を人間っていうのを忘れるくらい
甘えてくる人も居たけど、正直自分が愛してる人以外は
かなり負担が大きかったな。
一人ではどうしようもないから、職場では
上司に相談したりするようにはなったな。
甘えられなかった昔とは、大分変ったよ。
この年齢になってから、ようやく人としての
幸せや色々考えるようになったな。
まだまだ、私は勉強中です。
だけど、寂しい点が一つ…(;^ω^)
小説とかあんだけ書いていたのが、一つも物語の構成すら
書けなくなったんだよね(;^ω^)
得意だったのに…何一つ得意な物が無くなったw
マジで思い出せないよぉ~。・゚・(ノ∀`)・゚・。
締め。
頼りにされやすい人でも、元は人間です。
たまには、誰かに頼りたいこともある。
そんな話でした。
お一人様の私が心がけていること。
- 「ありがとう」は、必ず相手に言う。
- 間違っていたら、素直に「申し訳ない」
- 余裕があったら、人のふりを見習う
この3つは、心がけております。